臨場感

建築家は見たい建築のためなら世界中のどこにでも足を運ぶ生き物です。もちろん僕もそのひとりで、これまでも数多くの建築を見てきました。建築を訪れ、心と体の全体で吸収すること。それはもう仕事を超えた生きがいであり、喜びです。

建築には感動があります。体が震え、涙が出るような感動もあれば、ゆっくりゆっくりと染み込んでくる感動もあります。数十分の体験が、その後の人生に強烈な印象を残し続ける建築もありますし、訪れてから何年も経ったあとにようやく響き出す建築もあります。思いがけず出会った建築に深い感動を覚えたことも数え切れません。

前回の“蔵出し”と題した投稿の評判が良かったこともあり、もう少し踏み込んで、僕の個人的な思い出を通して語りながらも、主観的ではない客観的な建築の表現ができないかと考えています。ここで”客観的”とは”広く共感していただける”ということかもしれません。

僕たち建築家は、街や建物だけでなく、日々の生活を含めた人生の全てを、ごく自然に建築的な視点で捉えながら生きています。そこで、文章を読まれた方々が実際に建築を訪れた際の感動を奪うことなく、建築体験の臨場感を言葉にすることができるのではないか。そこにより生き生きとした建築の表現方法があるのではないかと思うようになりました。もちろん須賀敦子の様な文章はとても無理ですが、1枚の写真に対して僕の建築体験を言葉に綴ることを少しずつ続けてみたいと思います。(今後、何かシリーズタイトルをつけるといいかもしれませんね。)僕の目や体験を通して、建築や街、デザインに興味を持っていただけるのであれば嬉しく思います。

では、今日は3枚の写真について。

 

2020年、コロナ禍で過ごす初めての秋に日光へ行きました。ちょうど2年前の今頃です。感染者数が少し落ち着いていた時期ではありましたが、まだまだウィルスのことがよくわからず、漠然とした緊張感を抱えながらの旅でした。朝、1年前には誰も想像できなかったほど静かな新宿駅から、7:31発の特急日光1号に乗り日光へと向かいました。ホテルに泊まると宿帳に”東京”の住所を書かなければならないことが憚られて、無理矢理日帰りにしたことも覚えています。

写真はアントニン・レーモンド設計の旧イタリア大使館別荘(現イタリア大使館別荘記念公園)です。一部改修・復元されていますが1928年の建物です。まさに中禅寺湖のほとりに立っています。レーモンドは第二次大戦前後に日本で活動したチェコ出身の建築家です。もともとはフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの設計監理に携わるため来日しましたが、その後も日本に留まり自身の建築事務所を開設しました。(ここでは割愛しますが、彼がその後の日本の建築界に与えた影響は非常に大きいものがあります。)

日光は明るい曇り空。はじめに東照宮にお参りをしていたため、バスを2本乗り継ぎ、いろは坂を越え、ようやく奥日光にある旧イタリア大使館別荘にたどり着いたのはもう15:30を過ぎた頃でした。まずは暗くなる前に外観を見ようと庭(尖った砂利でザクザクとしていました)に出ると、目の前に広がるのは見事な紅葉と美しい湖です。そして振り返れば、旧別荘の葺き替えられたばかりの杉皮の外壁が、湖畔の木立と会話をしているかのように共鳴しています。自然の木々の中で、同じ自然素材ながら幾何学的な市松模様はこんなにも映えるんだと新鮮な驚きがありました。内部もとても雰囲気があり、やはり杉皮で壁も天井も仕上げられています。天井の竿縁のパターンなど特徴的でしたが、全体を通して明快で思い切りの良いデザインです。西欧の目を通して作られた意匠ということがよくわかります。

ここでは建物の閉館が17:00なのに対して、バスターミナルへと向かう最終バスは16:30発でした。(なんとかならないんでしょうか。笑)それならば仕方ないと、閉館まで見学を続け、徒歩でターミナルまで戻りました。ところが日が落ちると思った以上に気温が下がり、あっという間にあたりは真っ暗に。40分ほどかかったでしょうか。ひとり歩く夜の湖畔がとても心細く怖かったことは内緒の話です。

 

2004年の7月、グラスゴー美術大学の建築学科からロンドンのAAスクールに編入しました。AAスクールというのは、Architectural Association School of Architectureの略称です。イギリスでは単にAAと呼びます。Wikipediaには日本語でAAのことを”英国建築協会付属建築専門大学”と称すと書いてありますが、正直そんなのは聞いたことがありません。2年間過ごしたスコットランドを離れることに少々の寂しさも感じていましたが、子供の頃から夢に描いたロンドン生活の始まりに期待は膨らむばかりでした。

写真はロンドンで初めて住んだ家(向こうではflatと呼びます)の入り口です。ひとつの玄関を共有して4世帯が住む典型的なロンドン市内のフラットでした。実は正面の階段の裏側に隠れるようにしてもう一つ地下に降りる狭い階段があり、その地下にある部屋を僕は借りていました。(ちなみに次に住んだ家は屋根裏部屋でした。)住人共用の洗濯機・乾燥機置き場の隣で、ゴロンゴロンと乾燥機が回る音と、洗濯洗剤の香りがいつも漂っていました。憧れのロンドンに住んでいる高揚感も含めて、僕はこの家がとても好きでした。今も写真を見るだけで、床がギシギシ鳴る音が聞こえてきますし、大家さんが定期的に塗り替える白いペンキのくすんだ匂いも思い出します。

左手に見える鮮やかな赤の玄関扉はとても重たく、閉めると勝手に鍵がかかる仕組みで、僕は「鍵忘れるな。」という大きな張り紙を自分の部屋に貼っていました。それでも何度か閉め出された(自己責任ですが)ことがあり、そのたびに上の階の人に助けてもらいました。逆に僕が扉を開けてあげたこともありました。

壁だって床だってヨレヨレだけれども、古い家に丁寧に暮らす喜びをイギリス人は知っています。便利であることと豊かであることとは全くの別物です。ここを間違えると建築はどんどんと味気ないものになっていくように感じます。

イギリスの家の玄関扉は概ね内開きです。(内開きとは文字通り家の内側に向かって扉が開くことを指します。その逆が外開きです)日本では玄関で靴を脱ぐので外開きか引き戸が基本です。内開きの特徴として、家の中と外との境界線がはっきりしていることが挙げられますが、お客さんが来る時など、誰かを招き入れるという体の動きには内開きが適しているように思います。逆に扉が外開きの日本の玄関は、家の中と外との中間に位置する領域です。例えば宅配業者さんが玄関までは入ってくることは珍しくありませんし、ご近所の方と立話が弾む空間であったりもします。場合によってはお茶を一服なども。玄関扉の開き方ひとつ取っても、その国の文化や慣習と密接に関連しているんですね。

 

昔から暇さえあれば空を眺めています。

僕は多摩ニュータウン育ちで、ニュータウンはまあまあ空が広いんですね。その影響からか、子供の頃から空が好きです。雲も好きです。小学校の校庭でランドセルを枕に眺めた放課後の空も、高校で冬の昼休みに校舎の屋根の上で今度は柔道着を枕に昼寝しながら眺めた青空も、大学ラグビー部の練習後に疲れ果ててグラウンドに転がって眺めた日没後の濃紫色の空もよく覚えています。週末のグラスゴーの静かなスタジオからMackintoshBuilding越しに見える透明な空も、AAの図書室で本を探していると外の空が徐々に暗くなって窓ガラスが黒い鏡のように変わる様子も、初めてのニューヨークでエンパイアステートビルの展望デッキから見た焼けるような夕焼けも、ヒリヒリとしたヨハネスブルクの夜空も、爆音で流れるアザーンに驚いて目覚めたダッカの霞んだ朝空も、イギリスから遊びに来てくれた友人と一緒に上った通天閣から見た大阪の空も、全部覚えています。

僕が今住んでいる調布市は長く続いた調布駅の駅舎の地下化の開発で、数年前、駅前の建物がすっぽりと無くなった時期がありました。僕は”空が大きい”それだけで文字通り晴れやかな気持ちになりました。そして、設計の仕事をしながらこんなことを言うのもなんですが「このまま何も建たなければいいのに。」と心から思いました。が、その願いも虚しく、今は押入れの衣装ケースのようなビルが立ち並んでいます。

街の人たちから空を奪うのであれば、その空に匹敵する美しさを持つ建築をデザインしてほしい。無理だとわかっていても、少なくともその気概を見せてほしい。いつも思います。