宮脇檀設計の中山邸
宮脇檀(みやわきまゆみ)設計の中山邸。
惜しくも解体が決まった名住宅です。先日、その中山邸を解体前に内覧できる住宅遺産トラストさんの企画に参加してきました。当日は猛烈な暑さだったのにもかかわらず、とにかくものすごい人で驚きました。(半日で500名近くの見学者が来られたそうです。)この建物の一般的な情報は既に本やメディアなどに多く取り上げられているので、ここでは現場を見学しての個人的な感想を書きたいと思います。
まず全体の印象として、木部の柔らかい質感や大きく目地割りしたコンクリート壁から伝わってくるおおらかさの一方で、非常に明解に線が整えられ洗練されたデザインの住宅だと思いました。しっかりと太さを見せる木部材の組み合わせには武家屋敷のような緊張感があり、そこに迷いのない潔さを感じます。また1983年竣工ということで、床の間のしつらえやエントランスアプローチはポストモダン時代特有の意匠性が前面に出たデザインとなっていました。
建物全体にわたり非常に丁寧に設計された住宅で、あらゆる細部までデザインしつくされています。しかしながら、それ故か、設計の意図が見えすぎてしまう部分も多くあったように思います。特に平面構成においてその傾向を強く感じました。意図が強すぎる平面とはつまり、こちらの生活の動きが事前に規定されてしまう間取りです。中山邸では、視線の抜けやよく考えられた空気の通り道と比べて、思うほど体の自由が効かないような気がしました。いわゆる邸宅と呼ばれる大きさの住宅であるのにもかかわらず、動きの選択肢が事前にかなり絞られているように感じるのです。例えば、キッチンまわりはこういう作り込んだデザイン手法がとても効率的で有効だと思いますが、その設計手法が建物全体に広がると、やはり多少の窮屈さを感じずにはいられませんでした。どちらかと言うと狭小住宅を設計する手法に近いかたちで邸宅を設計されたのかなとも思います。もしかすると大きな家でありつつもコンパクトに生活をしたいというお客様の要望があったのかもしれません。いずれにしろかなり意識的に空間動線のコントロールがされている設計だと思いました。それぞれの好みもあると思いますが、建物全体を作り込み過ぎずに、要所に少し曖昧な空間が欲しいような気もしました。僕自身はどんな規模の住宅にも少しの余白と空間の謎が必要ではないかと考えています。これは篠原一男が小論「無駄な空間」(1961)で述べている内容と近いのかもしれません。また、デザインに対する時代感覚も影響しているのだろうと思います。
宮脇の住宅設計の鉄則のひとつ「回遊動線」が中山邸にも2箇所あります。回遊動線とは建物内をグルグル回ることのできる動線のことで、通常、使い勝手の向上と共に空間の広がりを演出する効果があります。ところが中山邸では、わかりやすい広がりとはどこか異なる空間の印象を受け、現場ではそれが何故だかわからず戸惑いました。見学者も多かったので感覚的なものかなとも思いました。
そこで改めて間取りを検証してみると、まず動線に沿った各部屋や廊下の機能がはっきりと決まっていることに気付きました。それに対する主動線、副動線、表の空間、裏の空間も明確にゾーニングされています。つまり、和風色の強い外観に対し、住宅内部は明らかな空間のヒエラルキーが存在する非常に西洋的で合理的な間取りとなっているということです。独立性の高い空間が機能的に連なって全体を構成する典型的な機能主義建築の作り方です。独立性については住宅内外の開口部の位置を観察することでも理解できます。建物全体としては伝統的な和風建築で見られる雁行配置を意識しながらも、ほとんどの部屋同士はしっかりと壁で仕切られた個別の空間です。書斎の玄関アプローチ側には窓がないこと、居間と和室に積極的な関連性が無いこと、主寝室や子供室が自己完結した空間であることなどが例に挙げられます。また壁式鉄筋コンクリート造の建物の間に木造の屋根をかけるといった構造の手法も空間の構成に顕著な影響を与えたのではと考えます。
興味深いところで、宮脇は「中山邸についての覚書」(住宅建築1984年2月号)と題する文章の中で、主に外観意匠についてですが、「<和風>にするつもりは無かったが<和風>になってしまった。」という見方によっては言い訳ともとれるような趣旨の言葉を繰り返し述べています。僕自身は建物が和風に見えることに対して何の問題も違和感も感じないどころか、むしろ中山邸は素晴らしいプロポーションとバランスの外観構成を備えていると思いますが、これもやはり時代感覚なのでしょうか。
回遊動線については、間取りの作り方によって「連続的な広がり」につながる場合と、逆に「閉ざされた枠組み」となる場合の両方があるということに気づくことができました。これは良し悪しの話ではなく設計の目的の違いです。今まで「回遊動線=空間の広がり」と一意的に信じてきましたが、ひとつ設計のスキルアップに繋がったように感じています。
偉そうなことをずいぶんと書きましたが、中山邸はやはり名住宅です。状態としても少し手を入れればまだ何十年も使えそうでした。残念ながら敷地全体を宅地開発してしまうそうです。(敬称略)