原美術館の解体について

  Posted on Jun 4, 2021 in 建築考察, 東京, 都市について

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原美術館の解体に心を痛めています。昨年の秋に訪れたのが最後となりましたが、かつて私邸から美術館へと転身を遂げたように、閉館後もまた新しい役割を担い、現役の建物としての活躍を続けるものだと信じていました。今後は数年に一度でも見学会などあればいいなとすら思っていました。東京国立博物館や横浜のホテルニューグランド、銀座和光(旧服部時計店ビル)などを手掛けた渡辺仁設計の貴重な建物であり、何よりも多くの人々に長らく愛されてきた美術館です。解体という方針は非常に苦しい選択だったのだと思いますが、文化財級の建物でも抗えない厳しい現実には、ただただやるせない気持ちが募ります。

古い建物を守り後世に残すには、お金も労力も法的な枠組みも必要です。国や自治体の長期的なサポートも不可欠なため、それは決して容易なことではありません。もちろん全ての建物を保存する必要はありませんが、保存活用と解体の線引をどこに定めるかという判断には、目の前の経済的収支だけでは測れない個々の案件特有のファクターを、いかに拾い上げていくかということが重要になってくると思います。今のまま「建築」を文化ではなく「不動産」としてしか評価することのできないマーケットの支配が続けば、遠からず日本には”築数百年超の古建築”と”築数十年にも満たないの若い建築”の2種類しか存在しないという時代が訪れます。言うまでもなく築50年で建物を解体してしまったら築100年には届きません。築200年も築100年の延長線上にしか達しえません。歴史の積み重ねを感じることのできない、平坦で均質化された街が日本中に出来上がるのは時間の問題です。

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日本ではその分野に関わらず、市場原理と政治的な力学とで物事の判断が下されることがあまりに多いと感じますが、長い目で見れば歪んだ判断が良い結果に結びつくことは稀です。特にこの1年半の国の新型コロナ対策からは、日本社会が抱え続けてきた闇が否応なしに浮き彫りとなったように思います。まるでマンションポエムのように上滑りした政治家の言葉とともに、超近視眼的・場当たり的な政策が繰り返されました。260億円もの税金を使い唐突に布マスク2枚が配られたのは、まだまだウィルスの実態がわからず世界中が得体の知れない恐怖に怯えていた昨年の今頃です。本音と建前の使い分けはどの世界にも存在しますが、幾度となく耳にする「国民の安全・安心」という言葉でさえ、どこまで行っても建前であるという現実に対し、諦めに近い苛立ちを感じている方も多いのではないでしょうか。

僕は人生の一時期をスポーツにかけたことがあり、東京オリンピック・パラリンピックを心から楽しみにしていましたが、納得できる説明もなく、国内の体制も整わないまま、なし崩し的に開催へと突き進んでいる現状にはやはり強い違和感を覚えます。そして2015年にザハ・ハディドの新国立競技場案が白紙撤回されたのも、政治のカードとして切られた側面が強かったことを改めて思い出しています。

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森を育てるように、ゆっくりと街を育てることができたら良いのにと思います。

前川國男は半世紀以上も前から近代建築・近代都市の行く末を深く案じ「資本の利潤が人間を駆使する社会では、近代建築は人間社会のためにあるべき姿とはかけ離れ、非人間化の一途をたどる」という趣旨の言葉を多く残しています。自由競争の中で資本の論理が重要視されるのは当然ですが、その切り口に100年単位の長いスパンを持つ視点を同時に捉えることは必ずできるはずです。

 

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台東区谷中にある朝倉彫塑館は彫刻家朝倉文夫のアトリエ兼住宅でした。1935年竣工のこの建物は、2009年から2013年にかけて大規模な保存修復工事が行われ、現在も一般公開が続けられています。前々回の投稿に書きましたが、僕が建築家を目指すと心に決めたのはこの建物との出会いがあったからです。

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一方、原美術館(当時は原邦造私邸)が完成したのは1938年であり朝倉彫塑館とほぼ同時期です。規模も大きくは変わらないと思います。それぞれの状況は全く異なり単純比較できないのは承知の上ですが、原美術館の解体が直前まで伏せられていたという事実は、事前発表があれば必ず起こったであろう保存運動を回避するための戦略のように思えてしまい、やはり残念です。

 訪れるたびに新鮮な発見のある素晴らしい美術館でした。解体の詳細や移築の可能性については公にはされていないようです。建物を取り囲む大きな木々も伐採されてしまうのでしょうか。今は少しでも良い方向に期待が裏切られることを切に願っています。

 


2021年6月17日追記:
この投稿に対するツイッターでの反響が大きく、多くの方々にこの文章を読んでいただいています。ありがとうございます。以前にも同じような形でブログの文章が広まったことがありましたが、それは2018年に森美術館で開催されていた「建築の日本展」についての投稿でした。「建築の日本展」は、建築家である前に一建築ファンである僕にとっては本当にワクワクの抑えられない幸せな内容でしたが、一方で、建築のプロとしての視点からは、建築界だけでなく、日本の社会そのものが建築や都市と向き合うにあたり長く抱えてきた課題も浮き彫りになっていました。

当時、展示を通して改めて感じた強い危機感は、2011年にイギリスから帰国して以来、常々感じていたことではありましたが、それは、この原美術館を解体してしまう今の現実に対する危機感と全く同質のものです。この10年間をとっても、名建築だけでなく歴史的な建造物も次々と解体され、一向に状況が改善する兆しはありません。

”「建築の日本展」について”と題した文章の中では、展示内容に対する批評だけでなく、より建築的な視点から建築を文化として育むための具体的な視点について考察しました。また、世界との関係の中で日本の建築を捉えることによって、建築というジャンルそのものが持つ懐の深さと豊かさについても触れています。

リンクは以下になります。今回の投稿と合わせてお読みいただければ幸いです。

岩田厚建築設計事務所>> 2018.08.02「建築の日本展」について

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 参考図書

建築の前夜 前川國男文集 / 而立書房 / 1996