建築に見る祈りと願い
気付けば既に5月の半ば。ずいぶんと久しぶりの投稿になってしまいました。(しかも今年初ですね。) 今週末、生涯学習講座めぐろシティカレッジさんでひとつ講義を担当します。タイトルは「建築に見る祈りと願い」です。今回は”目黒学”をテーマとしたコースのため、円融寺、サレジオ教会、目黒教会の建築デザインを中心に、日本と世界の建築の架け橋を紡ぎます。毎度のことながら、錚々たる先生方の中で「本当に僕でいいのか?」とも思いますが、事前知識の無い方々にも楽しんでいただける内容にしたいと準備をしています。後日、同じ内容の勉強会を事務所でも開催する予定です。こちらは日程決まり次第改めてこちらで告知します。ご興味ありましたら是非ご参加ください。(追記:事務所勉強会は6月25日(日)を予定していますが、アナウンスと同時に満席となりました。ありがとうございました。)
以下、講義概要です。
近代に至るまで世界の建築史の大部分は宗教建築の歴史だったと言っても過言ではありません。これは宗教が純粋な信仰的側面だけでなく、国の統治、政治、権力、経済、芸術文化、また時には戦争や紛争、差別などの負の側面をも含めた人間活動と強く結びついたものであったからです。
本日は円融寺釈迦堂、カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)、カトリック目黒教会と、目黒にある3つの宗教建築を起点に、建築家としての視点から「祈りと願い」をテーマとした様々な建築にまつわるお話をします。ここではデザインの優位性や特異性、固有性の競い合わせることはしません。むしろ時代や地域、ジャンルを横断し紡ぎ合わせることで、新鮮な建築の見方を皆さんと一緒に探っていきたいと思います。
建築に限ったことではありませんが、通常ものごとの理解を深めるためには、体系的に分類されたジャンルごとに学習が進められます。例えば書店の建築コーナーでは、日本建築、西洋建築、古典建築、現代建築、教会建築、仏教建築、住宅建築、商業建築、建築構造、建築設備、といったように本の並びが整理されています。
一方で、私たちは目の前にある建築を体験する際に、事前に定められた学問の枠組みに目線を合わせる必要は全くありません。建築体験の醍醐味は一般解の答え合わせではなく、体験者それぞれの建築との対話なのです。それはとてもプライベートなものでもあります。
建築は地球上のある決まった場所、つまり特定の国、文化圏、環境に、ある固有の大きさと造形とを持って建つものです。歴史的に見れば、この当たり前の事象を最もわかりやすく体現してきたものが宗教建築であったとも言うことができます。
それではもう少し大きく枠を捉え、“日本建築”と聞いて皆さんはどのような建物を思い浮かべますか。おそらく神社やお寺、城郭、茶室、数寄屋、民家、長屋、町家などではないかと思います。街並みで言えば、東京谷中、京都祇園、飛騨高山あたりでしょうか。しかし現実を見渡せば、その多くが絶滅の危機に瀕しています。それならば、現代の日本に建ち並んでいる圧倒的大多数の建物は、一体どのような建築なのでしょうか。マンションは日本建築ですか。建売住宅はどうですか。超高層ビルや大型ショッピングセンターはどう思いますか。私たちは一体どこの国のどのような建物に囲まれ日々の生活を送っているのでしょうか。
全ての建築は世界へと繋がるひとつの扉です。講義を通して「建築」というフィールドそのものが持つ面白さや懐の深さを感じていただければ幸いです。