伝える必要のないメッセージ
20代のまだ若かった頃、僕はとある世界的に有名な建築を見に行くことに決め、旅の計画を立てていました。その話をたまたま会った先輩にすると、彼は既にその建物を訪れたことがあったので、周辺の見るべき建築を含め様々なことを教えてくれました。その中にこんな短いやり取りがありました。
「あの建物、思ったより小さいよ。」
「へ〜 そうなんですね。」
お互い特に気に留めるほどのこともない会話です。
翌月、僕は何時間も電車とバスを乗り継ぎようやくその建物にたどり着きましたが、最初に頭に浮かんだ言葉は、
「確かに思っていたよりも小さいな。」
というものでした。
やっと訪れることのできた超有名建築を目の前にしながら、図らずして他人の感想を再確認する作業をしてしまったんですね、僕は。これはもう巻き戻しも取り返しもできないのだけれど、初めて建物に触れた瞬間の自分の感覚を認識するたった一度のチャンスをここで逃してしまった。そのせいで建築体験が不毛なものになったのかというと、全くそんなことはありませんでしたが、やはり少しもったいなかった。
そもそも豊かな建築とは、大きいとか小さいとか、明るいとか暗いとか、かっこいいとか悪いとか、そんな単純な言葉に集約されるようなものではないというのは、あの時の僕だって頭では十分わかっていたんです。ただ建築に対する本物の理解は、たくさんの建物を訪れ、本を読み、歴史を学び、日々図面やら写真やらとにらめっこをし、設計側であれば自分で引いた線が実際に立ち上がるのも経験しながら、少しずつ深まっていくものです。ブレない自分の視点を持てるようになるまでには、どうしたってある程度の時間と経験値が必要です。だからこそ、僕はこの体験以降、建築をどのような言葉で話すかということに対しとても気を使うようになりました。
今年は東京都立大学のシステムデザイン学部で空間設計の授業を担当しています。必然的に多くの建物を学生に紹介することになりますが、やはりその表現や見せるスライドには気をつけています。建築を見る目はまだまだまっさらな学生たちです。彼ら彼女らは、これからたくさんの名建築と出会うことになるわけで、その際には何よりも自分自身の感性を大切に建築を体験してほしいと思っています。(東京カテドラルを初めて訪れた際の、あの鳥肌が立つような感動をこれから味わえるなんて、僕はみんなが羨ましい。)
「思ったより〜」という言葉だけでなく、一個人の感想が若者の柔らかな感覚を乗っ取ってしまいがちな表現はたくさんあると思います。それが人生の先を走る建築家の言葉である場合はなおさらです。特にTwitterのようなSNSの狭い世界では、どうしても短絡的な言葉に置き換えられた建築の表現が簡単に広まってしまう。
もちろんSNSで建築を語るなということではなく、むしろ大いに語られるべきと思います。ただ、誰もが映画や小説を紹介する際には、その言葉選びに細心の注意を払っているはずです。きっと同じように建築を表現する言葉を選ぶことができます。相手に対する思いやりだけでなく、建築そのものを尊重する姿勢があるからこそ、実は伝える必要のないメッセージがたくさんあると僕は思っています。