戦災にあった権現さま
先日、根津神社に今年も一年無事に過ごせますようお参りをしてきました。
根津神社は江戸時代中期から続く権現造りの神社で、もともとは根津権現社という名称の神宮寺でした。
しかしながら明治維新の神仏分離令により、当時の国家神道に基づき強制的にその役割を改めることとなりました。
それ以来、根津権現社は根津神社となったわけですが、地元には根津神社を「権現さま」と呼ぶ方々が今でも多くいらっしゃいます。
お参りの帰りがけにギャラリー汐花の「根津の町並みと伝統工芸水引展」という展示を見学しました。
そこで幼少より根津にお住まいで、この展示企画もされていた小林暢夫氏にお話をお聞きしたのですが、根津神社の本殿は1945年1月の米軍による空襲で1度焼け落ちているそうです。
根津神社は空襲被害を受けなかったという話をよく耳にしますが、実はそれは正しい情報ではありません。
実際、無残な姿の根津神社の写真も展示してありました。(ネット検索してみると一枚だけ写真が出てきます。)
空襲のあった日、街の皆で夜通し神社の消火活動をしたそうですが、夜半過ぎに北風が突如南風へと変わり、今度は千駄木方面へと炎が燃え広がってしまったとおっしゃっていました。
小林氏は現在、東京大空襲・戦災資料センターで語り部もされているそうです。
展示には他にも根津遊郭の写真や、戦前の不忍通りを走る都電やトロリーバスの写真などもありました。
また、昔は根津にレンズ磨きの工場が多かったこと、不忍通り沿いには根津から千駄木までの間に映画館が3軒もあったこと、異人坂近くには爬虫類研究所なるものがあったことなど、たくさんのお話していただきました。
とても興味深く発見の多い時間をありがとうございました。