まだ模索中
先週、出張で仙台を訪れました。全国的に暖かかった一日ではありましたが、まだ2月だというのに気温は20度を超え、季節外れという言葉すら外れたような陽気でした。真冬の東北にいるとはとても思えませんでした。
度々インスタのストーリーズにはあげてきましたが、上の写真の模型群は全て仙台市で設計中のこどもクリニックのデザインスタディです。これまで弊所では主に住宅や小規模の商業施設/オフィスの設計を行ってきましたが、初めて手掛ける公共福祉のための建築となります。昨年の6月から基本設計を始め、現在、徐々に実施設計へと段階が移ってきています。
このプロジェクトはSpace eXperinece Deisgnの土屋 真氏との共同設計です。土屋さんと私とは同い年で、その昔、ともに某大手組織設計事務所でアルバイトをしていた頃に知り合い、気づけば20年近くの付き合いとなりました。十分な大人になってから親しくなった数少ない友人であり、お世話になった建築家の先生や、大学時代の思い出が詰まった根津という場所に再び縁を繋いでくれた人生の恩人でもあります。
通常のプロジェクトでは私ひとりが設計の責任を背負います。デザインプロセスはいつも孤独な決断の連続です。もちろんひとりで無理な時は様々な助けを求めますが、孤独であることの自由を心身ともにコントロールできなければ、個人の設計事務所は成り立たないのだろうと常々思います。
それに対して今回のこどもクリニックの設計では、土屋さんと対等な立場で意見を出し合い、知恵を絞り合って、より良い建築を目指しています。信頼できる別の視点がそこにある安心感は普段は感じられないもので、コラボレーションの充実感も想像以上です。
具体的な間取りやプロジェクトの詳細を公表できるのはしばらく後になりそうですが、この模型のどれが実際に建つのか楽しみにしていてください。あるいは全く異なる形の建築となるかもしれません。私たちもまだまだ模索中なのです。
余談ですが、僕は大学生の頃、建築学科ではなく船舶海洋工学科に所属し、津波のシミュレーションソフトウェアの開発研究をしていました。(と書けば聞こえはいいですが、実際には研究室全体での研究の端っこの端っこをほんの少しかじっただけです。)その船舶海洋工学科は、根津駅が最寄りの弥生門をくぐって目の前に立つ工学部3号館にあったので、大学の後半は毎日根津から駒場のラグビーグラウンドへと部活に通いました。昔は交差点の角にあった吉野家でもよく牛丼を食べました。20年後には同じ町で設計事務所を構えていることになるのですからね、人生とは不思議なものです。
さて、私は本日46歳の誕生日を迎えました。この歳になると、これまで歩んできた道程を思い返すだけでなく、自分に残された時間というものも自然と意識してしまいます。
僕は子供の頃から音楽が好きでした。今でもいくつかのアーティストのファンクラブに入っています。すると毎年誕生日にお祝いのメッセージが届くんですね。もちろんその文面はファン全員に対して同じだとわかっているのですが、これが地味に(とても)嬉しいのです。「感情は理屈じゃないよなあ」と、こんな場面で思い知らされます。
年齢としては普段使いの一人称に困る微妙な段階だと感じています。もう10年以上前に「俺」は卒業し「僕」に切り替えましたが、最近はその「僕」にも少し迷いが生じてきました。でも「私」にはまだまだ届きません。「某(それがし)」なんて一生使うことはないでしょう。案外「わし」とかが候補に挙がってくるんですかね。いや、ないでしょうね。はて、どうしましょう。
楽しい46歳になりそうです。