篠原一男の「住宅論」

  Posted on Sep 10, 2017 in 建築考察, 建築家

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篠原一男の「住宅論」を再読しました。(鹿島出版会 SD選書49 1970年出版)

1958年から67年の間に書かれた、住宅建築に関する篠原自身の考えをまとめた小論集です。あとがきを含めた13の論考が年代順におさめられています。

戦後復興から高度成長時代に突入し、日本の建築業界をとりまく環境が劇的に変化するなかで、住宅建築や住宅を設計する建築家とはどうあるべきかと、真正面から向き合った住宅建築理論の名著です。また同時に、住宅建築に並々ならぬエネルギーを注いだ、ひとりの建築家の青春文学でもあるように僕は思います。情熱、覚悟、喜び、悲しみ、怒り、迷い、葛藤、空回り、矛盾、反発、羨望、背伸び、欲望、諦め。篠原は1925年生まれです。この本には30代半ばからの10年分の格闘がぎっしりと詰まっています。それ故に、半世紀近くも建築家たちに愛され続けた一冊なんだろうと思います。

いわゆる終始一貫、理路整然とした内容の小論集ではありません。(これは本人もあとがきで述べています。)ただ、どの小論も、その瞬間の篠原の目線で、住宅建築のあるべき姿を真剣に追い求めた、決意のこもった言葉で綴られています。そして10年という時間の間に、その焦点は揺れ動きながら徐々に変化していきます。この振動する理論と感情の振れ幅の中に、日本の住宅建築の未来と住宅作家としての生き残りをかけた、篠原自身の試行錯誤の過程を読み取ることができます。つまりはここに、篠原のまっとうな建築家としての立ち姿があり、モラルがあるのではないか、と僕は考えています。

日本国内だけでなく世界においても篠原一男は、建築作品、著作、そして篠原自身を含めて、どこか過剰に伝説化・神格化されている傾向があるように思います。そう頭でわかっていながら、僕自身も篠原作品に抗えない魅力を感じ、少なからず影響を受けています。その中で、篠原と言えば多くの格言を残したことでも有名です。

「住宅は芸術である」

これはこの本にも掲載されている1962年の小論のタイトルであり、篠原一男を代表するフレーズです。「住宅論」には他にも、

「設計はその施主からも自由である」

「すまいというのは広ければ広いほどよい」

「敷地は設計の出発点ではない」

「住宅は美しくなければいけない」

「民家はキノコである」

「失われたのは空間の響きだ」

などの(建築界では)有名な言葉が、たくさん出てきます。中には少々問題発言的なものも含まれます。ただ、気をつけるべきは、これらの格言の中には篠原の「多角的な思考と論点から導き出されたフレーズ」と、「空中分解してしまいそうなアイディアを何とかつなぎとめるために利用したフレーズ」との両方があるということです。現に「結論はまだわからない」と締めくくっている小論もいくつかあります。試行錯誤の真っ只中にいた篠原にとっては当然のことです。そしてさらに加えると、実は篠原の真意が、これら格言の文字通りの意味とは、少し離れたところにあることも多いように感じます。なぜなら篠原の論考は非常に複雑かつ具体的(内容が抽象的なことはありますが)なため、それを短い言葉に落とし込むことはどうしても難しいからです。

キャッチーで使い勝手のよい格言は篠原を取り上げた展覧会などでもよく目にしますが、部分を切り取るだけでは足りないどころか、むしろ大きな誤解を呼びかねません。実際に「住宅は芸術である」という言葉は、その後の日本の住宅デザインに多大な影響を与えました。時代や業界総体としての流れもありましたが、篠原のこの言葉をひとつのターニングポイントとして、日本の住宅建築は、本来の芸術の意義を履き違えた建築家たちによって、やりたい放題の時代を迎えることになります。そして今現在も、その名残の中を漂っているように感じます。しかしながら、「住宅論」を読む限り、篠原のこの「住宅は芸術である」という言葉の真意は、むしろ「住宅は建築である」ということでした。(これについてはまた別の機会にまとめたいと思います。)建築の世界に限ったことではありませんが、ここに独り歩きを始めるキャッチフレーズの危うさがあるように思います。

極端な言い方をすると、この本の醍醐味は有名なフレーズや格言「以外」の部分です。つまりは文章の中身です。(本当に当たり前のことなのですが。)目次を読むことで大まかな展開のわかる本と、目次だけでは全く内容の掴めない本とがありますが、「住宅論」は間違いなく後者です。

冒頭にも書いたようにこの本は、当時の日本社会と都市環境における、住宅建築と住宅を設計する建築家の存在意義を深く考え抜いた名著です。だからと言って、50年も前の文章を鵜呑みにし、それをそのまま現代に当てはめることに意味はありません。篠原の論考の経緯を知り、時代背景や建築作品との関係を検証することで、現代にも通用する住宅設計へのヒントを見つけ出すことに重点を置くべきです。

篠原は「住宅設計の主体性」と題した1964年の小論で以下のように述べています。

「ひとりの建築家の責任のある生きかたの上に確実にとらえられた今日の日本人の人間像を出発点としたさまざまな仕事が、ある時は対立し、ある時は協調をみせて集合するとき、私たちの本当に期待する明日の都市が屹立するのだ」

現代の視点を持って13の論考を批評的に解釈し、考察し、発展させ、最終的には自分自身の設計に還元することが、結局はこの篠原の言葉に繋がっていくのです。

日本の住宅設計は「篠原神話」から出来る限り早く、かつ、前向きに一歩を踏み出すべきです。そのために現代の建築家は、改めて篠原一男と向き合い、そして時代に即したそれぞれの発展的な解釈を導き出す必要があるのではないでしょうか。

いつまでも「住宅は芸術である」を引きずっている場合ではないのです。

 (敬称略)


※ 篠原一男の作品は現在、東京国立近代美術館の企画展「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」で見ることができます。13のテーマに分かれた展示の中で、その1つが篠原にあてられています。会期は2017年10月29日までです。